世界の養蜂レポート

ドイツ編

養蜂先進国ドイツの“ハニースタンダード”にふれて

「養蜂の神様」を訪ねて

ドイツ南西部、バーデン・ヴュルテンベルグ州の首都シュツッツガルト。
ハニースタンダードの国といわれるドイツへの旅は、「黒い森」の北の起点ともいえるこの街から始まりました。
私はまず、農林水産省に属する公的なはちみつ研究機関のひとつ、ホーエンハイム大学を訪れました。「養蜂の神様」としてその名を知られる、フォア・ヴォール名誉教授に会うためです。
歴史に彩られたこのホーエンハイム大学の一角で、ヴォール教授は威厳に満ちた、しかし穏やかな表情で、ヨーロッパ一厳しいと言われる「はちみつ純正法」について語ってくれました。
「ドイツには、はちみつの品質基準を定めた『はちみつ純正法』という食品法があります。これは1976年につくられたもので、きわめて厳しい基準が設けられています。たとえば糖度、HMF、酵素などが、その代表的な項目として挙げられるでしょう」

まず私が驚いたのは酵素、つまりジアスターゼの基準が定められていることでした。酵素というのは、デンプンをエネルギーの素となる糖に変えるもので、はちみつの品質を語る上で、非常に重要な成分です。しかしアメリカやオーストラリア、アジアさらに日本でも、酵素に関する規定はありません。これは、はちみつ純正法の厳格さを示す、代表的な例と言えるでしょう。驚きを隠せない私の表情を読み取ってか、教授は次のように言葉を続けました。
「酵素に関する規定は、実は1931年からあります。その意味ではとても伝統のある規定です。それとアメリカやオーストラリアの法律を、私たちはアングロサクソン法と呼んでいますが、これらはどちらかと言えば生産者側によった比較的簡単な基準です。ドイツでは、あくまで消費者が基本。だからおのずと基準は厳しいものになるわけです」

他の諸外国では未だに定められていない規定が、ドイツでは約70年も前からありました。この事実は、ドイツにおけるはちみつの歴史を端的に物語るものです。

自然の恵みをそのまま活かすという考え方

続いてヴォール教授が説明してくれたのは、HMFについての基準です。
HMFとは、はちみつを加熱した時にできるヒドロキシメチルフルフラールのことで、これを測定することで、はちみつが加熱され過ぎていないかどうかを調べることができるのです。過度の加熱を防ぐのは、酵素などの貴重な栄養素を破壊しないためで、私たちの「山田養蜂場」では温度を45度以上に上げない伝統的な製法を守っています。
しかしアメリカや日本の他の大手メーカーでは、温度を60度以上に上げ減圧釜で処理する方法が一般的です。この減圧釜を使った方法について、ヴォール教授は次のように解説してくれました。
「そのやり方はドイツでは使えません。圧力釜で気圧を抜いた場合、香りも抜けてしまうからです。純正法の第2条の3項に『はちみつが元々持っているものを外に出してはいけない』という規定がありますが、香りが抜けるということは、これに反することになります」
つまり、自然の恵みをそのまま残すという考え方なのです。まさに「純正法」と呼ぶにふさわしいドイツならではの理念ではないでしょうか。そして、私たち「山田養蜂場」が守り続けてきた伝統的な製法が、ドイツでは品質規格として認定されていたのでした。

「森のはちみつ」と「荒野(ヒース)のはちみつ」

ここで教授はドイツのはちみつについて、大変面白い話をしてくれました。
「ドイツには『森のはちみつ』とか『木のはちみつ』と呼ばれるものがあります。
木も生きていくために糖分を作っていて、昆虫が穴を開けて吸い出して餌などにしています。木のはちみつはその糖分から採れるものです。特にドイツの南西は『黒い森』があるため、森のはちみつは人気も価値も大変高いものです。ランクで言えば一番上等なものです。また北には『荒野のはちみつ』と呼ばれるものがあり、これはエリカという秋に赤い花をつける低木から採れ ます。これも非常に人気があるはちみつです」
「森のはちみつ」も「荒野のはちみつ」も、聞くだけで楽しくなってきそうな名前です。ドイツ人にとって、はちみつがいかに身近なものであるかが伺えました。

ヴォール教授には、さまざまなデータを元にして本当に長時間お話しいただきました。最後に教授は、ドイツがこれほどまでに厳格な規格を定めている理由について語ってくれました。
「ヨーロッパは世界で一番はちみつの消費が多く、輸入する立場にありました。そこで外国の安いはちみつに対して、クオリティを上げることで差別化を図ってきました。これは自国の養蜂業者を保護すると同時に、あまりにも粗悪な製品が入ってこれないようにするためでもあるのです」
自分たちのはちみつに誇りを持ち、また世代を越えて受け継がれてきた歴史と伝統を厳格な規定として守り抜いていく。ドイツがハニースタンダードの国と呼ばれる理由を、ヴォール教授の言葉は改めて実感させてくれました。そして今まで「山田養蜂場」で取り組んできた品質基準や製法が、ドイツの基準に照らしても間違いではなかったこと。何よりもそれが、私にとっての大きな喜びでした。

コンセプトは「伝統」と「手作り」。ゴイゲリン養蜂

ヴォール教授をたずねた翌日。私は『黒い森』の南のはずれ、清らかな水と美しい大聖堂が印象的な、古都フライブルグに足を延ばしました。親子3代続く「ゴイゲリン養蜂」を訪ねるためでした。
ゴイゲリン養蜂のゴイゲリン女史は、やさしい笑顔とローヤルゼリードリンクで私を迎えてくれました。このドリンクは、もちろんゴイゲリン養蜂の製品です。
ここでは、はちみつやローヤルゼリーの自家製造・販売を行っています。
「純粋なローヤルゼリーは朝食の前にとっていただき、その後にローヤルゼリードリンクを飲んでいただくことをお薦めしています。白と黒に色分けしてあるのは、朝1本、夜1本という意味だからです。朝はローヤルゼリーの成分だけ、夜はプロポリスと花粉とはちみつを混ぜたものです。それぞれ15本入りなので、お客様には半月に一度訪れていただき、いろいろなカウンセリングをしています」
ゴイゲリン養蜂のコンセプトは「伝統」と「手作り」。そして、何よりもユーザーとのコミュニケーションを大切にしているそうです。また、このローヤルゼリードリンクは、通常のドリンクの他に、成分がより多く含まれているものや、アルコール入りのものもあるとのことでした。
「ローヤルゼリーからつくったカクテルは、養蜂家の朝食には欠かせないものです。北のゲルマン人ははちみつでワインを作っていました。ゲルマン人の伝統的な飲み物なのです」
私はアルコールは嗜みません。このカクテルを試してみられないのが、本当に残念でした。

養蜂は自然と繋がっている

次に、ゴイゲリン女史は、はちみつを使った化粧品を見せてくれました。「ローヤルゼリーが入った化粧品で、薬品会社と提携して、製造・販売しています。防腐剤を入れていないので、いつも少量で、新しいものを作らなければならないのです」続いて出てきたのはプロポリスでした。
「これは、プロポリスとお茶の木から抽出したオイルでつくっています。もちろん食べていただいても、お風呂に入れていただいても結構です。肌がカサカサする時などは特にいいですよ」

「山田養蜂場」でもローヤルゼリーの美容液を発売していますが、日本の場合、化粧品の製造・販売は規制が厳しく非常にむずかしいものとなっています。この点についてドイツの状況を聞いてみました。
「ドイツでも同じです。化粧品は今後少なくする予定です。規制が厳しくなっていて、大きなメーカーでしかクリアできない内容になってきています」
たとえば今の医療の考え方は、病気になってからそれを治療するというものでした。しかし東洋には、病気になる前に病気にならない食生活を行うという考え方があります。漢方薬などは、そういう考え方でできた西洋と東洋の中間的な存在です。本来プロポリスやローヤルゼリー、花粉などは、食品であっても健康に貢献するものだと私は考えています。このことを彼女に言うと、こんな答えが返ってきました。
「養蜂は自然と繋がっています。人間が生きていくことと自然の繋がりの大切さをテーマに、私たちはマーケティングを行っています。人生は短いのですから、お金がすべてではありません」
まったく同感です。養蜂というものは、哲学や社会的な使命感がなければできない仕事だと思っています。私は彼女に、私自身の考えを話しました。
「人間は科学万能の生き方をしてきて、自然との付き合い方を間違えてきたのではないかと思います。これを解決するためには、自然と人間の付き合い方を元に戻すことが大切です。その象徴が農業であり、養蜂だと思います」
「私たちゴイゲリン養蜂のお店ではちみつを買ってその後体の調子が良くなった、と言われるのはとても嬉しいものです。健康であり続けるために、食品や自然の産物の摂取は大切なことだと思います」

ミツバチは1匹1匹でなく、全体で社会であり、その単位でひとつの生命と言えます。人間も一緒で、心身の健康がともなって、本当の健康と言えるのです。ゴイゲリン養蜂への訪問は、そんな思いを新たにさせてくれる貴重な経験となりました。

「法王」のコレクション

ゴイゲリン養蜂を訪れた後、私はエルラーゲンという街にある「ミュンスタータール養蜂博物館」へと向いました。ここは「養蜂界の法王」と呼ばれる80歳の養蜂家、カール・ヴェッファーレ氏のプライベートコレクションを展示する博物館です。
博物館に着いた私は、「養蜂界の法王」自らの出迎えを受けました。そして彼は、館内のガイド役をかって出てくれました。この博物館の中には、1万5千年前のスペイン・アルタミラの壁画をはじめとした世界中のはちみつ採集の壁画や、さまざまな国の巣箱、さらに切手、文献などがいくつもの部屋に展示されていました。そのどれもが、ヨーロッパをはじめとした世界の養蜂文化を伝える貴重なもので、プライベートコレクションとしては第一級の資料です。
博物館を見学した後、ヴェッファーレ氏は私をわざわざ自宅に招待してくれました。そこで私はヴェッファーレ氏のもう一つの顔、つまり研究熱心な「発明家」としての側面を垣間見ることになりました。
彼が見せてくれたのは、出入り口が塞がれてもハチが出入りできるトリック巣箱や、女性でも簡単に持てる軽量巣箱など、やさしくユーモアに溢れた彼の人柄がそのまま滲み出た「発明品」の数々でした。博物館の展示物も含めて、それらは厳格な法律や規格などはまた違った、いわば"文化としての養蜂"であり、ドイツの養蜂のもつ懐の深さを改めて感じさせてくれるものでした。

頑固な「マイスター」との出会い

ミュンスタータール養蜂博物館を訪れた翌日、私はローラント・ヘスラー氏という養蜂家を訪ねました。彼はスイスとの国境のほど近い「黒い森」で、約200群のミツバチを飼い、はちみつの製造・直販をしている、養蜂の「マイスター」でした。
「マイスター」というのは、貴族や博士などと同様に非常に名誉ある称号で、大きな養蜂企業でも「マイスター」がいなければ訓練生を採用することができないなど、養蜂家にとっては大変重要な資格です。この制度は3年間職業訓練を受け、さらに養蜂場で実際に3年間の訓練を経てやっと受験できる厳しいもので、その合格者はたとえば「ドクター」と同様に、称号を名前に付ることが許されています。つまりヘスラー氏は、"マイスター"ローラント・ヘスラーなのです。
養蜂仲間の間では「頑固一徹」で定評のある彼ですが、私とはなぜか不思議にウマが合いました。この頑固なマイスターは、養蜂家としての足跡やドイツの養蜂が直面している問題について語ってくれました。
「私の一家では、祖父の代から兼業で養蜂をやっていました。私は3代目です。祖父は南アフリカで800群の養蜂家でしたが、父の代で売ってしまい、そこは今はもうありません。私が始めた当初は、商社などを通して販売することも考えましたが、結局直接自分で販売することを選び、1966年から始めています」

ドイツの養蜂が抱えるさまざまな問題

実は今、ヨーロッパの農業は大きな岐路に立たされています。そのひとつは経済的な自立の問題である。このことについて、ヘスラー氏は次のように話してくれた。
「ドイツでは農家が減っています。特に養蜂家は減っているのです。そして残念なことにハチの数も減ってます。ヨーロッパ全体として言えることですが、工業一辺倒で賃金が上がり、農業は国の援助なしでは収入的にやっていけなくなっています。たとえば自分のところで直接売れば、流通を通さない分安く販売できるわけです。しかしすべての農家がそれをできるわけではありません。できないところはとても厳しくなっています」
本来、農業は人間を支えるものです。経済的な効率だけを追求すべきものではなく、他の産業の経済的な効率とは別に考えるべきではないでしょうか。さらに近年のヨーロッパ、特にEUによる統一の動きは、ドイツの養蜂界にも大きな影響を与えているといいます。
「ドイツにはヨーロッパで最も厳しい食品法があり、はちみつもその管理下に置かれています。ドイツの消費者や生産者は、それをEUの基準にしたいと思っています。しかしEUからは反対されています。それは消費者でも生産者でもなく、いわば世の中の"悪い構造"からの反対です。私たちは戦っていますが、なかなかうまくいきません。しかし希望もあります。1997年には、ヨーロッパ職業養蜂家連盟というものができました。クオリティの高いものを供給していくのが目的です。これについてはすべての国の養蜂家の考えが一致しています」

食品の基準というのは、企業や産業の振興ではなく、あくまで消費者と生産者の立場から考えられるべきものです。だからこそ私は、この厳格なドイツの基準を各国が採用すべきだと思います。またドイツでも日本でも、はちみつの自給率は約10%です。海外から輸入される安いはちみつに対しては、競争力をつけるために品質を高めることが必要です。この意味からも私は、今回の旅で触れることのできたドイツの厳しい基準や養蜂家のこだわりこそが、製品の価値を高め消費者と生産者双方の利益に結び付く、未来への可能性を持っていると信じています。

私は最後に、自分の夢を語りかけました。
「大きな森の中に、誰もが気軽に訪れられる観光養蜂園をつくりたいと考えています。訪れた人たちにミツバチの飼育を見せたり、さらに資料館のようなものも計画しています」
「それは、すてきな考えですね」"マイスター"ローラント・ヘスラー氏は微笑みながら、私の言葉に大きく頷いてくれました。

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