
岐阜県、宮崎県と並んでれんげの3大産地と呼ばれていた岡山県ですが、化学肥料の普及により田んぼにれんげを植える農家が少なくなってきたこと、養蜂家の後継者不足、れんげを食べるアルファルファタコゾウムシという害虫の影響などで、安定的にれんげ蜂蜜を確保するのが難しくなってきています。現在、「里山のれんげ蜂蜜」は自社で採蜜したものの他、岡山県と岐阜県の提携養蜂家にご協力していただき、お届けしております。
また、山田養蜂場では全ての蜂蜜に対して、ドイツの「はちみつ純正法」に準拠した、独自の厳しい品質基準を設けています。「里山のれんげ蜂蜜」もこの基準に適合した「本物のはちみつ」だけを取り扱っております。
- 常に常温を維持し、加温時には45℃以下を保つこと
- 完熟はちみつ(糖度約80度)を使用すること
- 糖類(はちみつ以外)の混入がないことを確認すること
- 花粉検査や電機伝道度検査、官能試験などによる品質の特定を行うこと
年々減少していくれんげ畑を守るため、山田養蜂場では鏡野町内の農家の方にご協力いただき、れんげの種を撒いていただき、春にれんげ畑で蜂蜜を採取し、秋にはお米を収穫するという昔ながらの農法を再現する活動を行っています。また、内モンゴルやネパールへの植林活動や風力発電・太陽光発電への積極的な導入も、人とミツバチ(自然)がいつまでも共存していける環境を守っていくことが大切だという考えから生まれた活動です。
様々な想いが込められた「里山のれんげ蜂蜜」の変わらぬ本物の味をこれからもお届けして参ります。 |
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れんげ蜂蜜を採取する当社養蜂部 小野
採れたてのれんげ蜂蜜
一面に広がるれんげ畑
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桜の花が春の嵐に散り始めるころ、柔らかな深緑のじゅうたんは、いつのまにかピンクのれんげの花畑に変わっていきます。
この鏡野を含む美作盆地は、かつてれんげ蜂蜜の大産地でした。養蜂家の仲間の間では、今でも「美作のれんげ蜜は上出来だった」と、語り草になっているほどです。そんなれんげ畑に魅せられた父が、巣箱とともに徳島から移動してきていたのは、昭和二十年、三十年代のことでした。冬の田んぼを休ませることなく、れんげや菜種、麦など水田の裏作として盛んに作られていた時代です。 |
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昭和33年当時、巣箱と現会長 |
昭和37年、鏡野町の定地式養蜂場を見回る会長夫妻 |
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ほとんどの家庭では、農業が生活の中心であり、子どもたちは学校が終わったあとや、休みの日には父や母の手伝いをして、大勢の大人たちに囲まれながら成長していました。れんげの咲くころからは、養蜂家も特に忙しく、養蜂家の家に生まれた私も、休みには親の手伝いをしたものでした。ゴールデンウィークに入るころは採蜜の最盛期で、遊びたくても遊べなかった思い出が風景とともに甦ってきます。 |
このような日本の原風景が少しずつ変化してきたのは、ちょうど高度成長期のころからではなかったでしょうか。効率や便利さを追い求めていく中で、昔からの伝統や文化が次々に姿を消していってしまいました。しかし、子どもたちの心を育ててくれていたのは、情緒や感性の豊かさを含めて、このような風景の後ろにあった日本人の心なのかもしれません。昔とは比べ物にならないほど少なくなってしまったれんげ畑ですが、私たちは少しでも増やす努力をして、心の風景もともに残ってくれれば良いなと思っております。 |
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現会長 山田政雄(左)と代表 山田英生(右) |
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